わが家で、ポテサラの味つけをめぐり、いさかいが生じていたとき、世の中では、ポテトサラダ論争が起きていたのですね。(すごいタイミング)
子連れの若いお母さんが、スーパーでポテトサラダを買おうとしたら、見ていた見知らぬおじいさんが「母親だったら、ポテサラくらい自分で作れよ」と言った…とか。
フムフムフム。
「じゃあ、あんたはどうなんだい!」「ポテサラ作っているのかい!」と思いつつ。
でも、人には言わないまでも、自分の中にもあるこの感覚。(自分で自分の首を絞めている)
母親ならばとは思わないが、
「朝ご飯はきちんと食べさせなくては」
「添加物の少ない食事を食べさせなくては」
「だしはちゃんと取らなくては」みたいな。
子どもがいるときは頑張っていた。(今は当時の4分の1くらいの熱量)
が、いきすぎると窮屈ではある。事情も知らない他人の家庭にまで口出しするなんて論外。
「母親ならば」がなくて、父親だろうと、子どもだろうと、「その時々のできる人みんなで」となったら、大変さも半減すると思うのだが…。
作らなかった方が片づけるでもいい。
だいたい、日頃ポテサラやコロッケを作っている人の口からは、「ポテサラくらい」だの、「コロッケくらい」だのということばは出ないことだろう。
もちろん、朝ご飯はきちんと食べさせるにこしたことはない。
小さな子どもにご飯も与えずに登校させるなんてのは問題だと思う。
でも、今日は朝からラーメンだったでもいいだろうし、
疲れて帰った夕食が、買ってきたお総菜でもいいと思う。
1週間でゆる~くバランスをとろうくらいでいいのかもしれない。
話がまとまらないけれど、言いたいこと。
「食事は大切」「でも、それは母親だけの仕事ではない」
「とにかく共同生活者みんなで家事を! 」です。
↓子どもがいた頃のお弁当。しゃれた弁当ではないけれどがんばっていたんだね。自分で自分をねぎらおう♪
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