とりあえず帰宅します

この一週間、身内で交代交代に父の付添をしていました。


本来なら、コロナの影響で面会もままならないのに、付き添いができたのは、父がまもなく亡くなりそう。臨終の場に家族がいた方がいいでしょうというお医者さんの計らいがあったからでした。


人の生き死にの場面をのんきな書き方ですみません。


父は先月から一切の飲食をしていなくて、この一週間は点滴一滴入れていません。

それでみんな父の最期を見送ろうと
駆けつけ、そばにいたのですが、今も意識はしっかりしていて、言われていることはちゃんとわかり、血圧等も安定したままなのです。


修行僧が何十日も飲ます食わずで修行して命を保ったりしていますが、それと一緒だろうかとバカなことを考えたり…。

苦しそうにせずに、穏やかに息をしていますが、本当のところはどんな気持ちなのだろうかと思ったり…。


人は最期の時が近づいてきたとき、どんなことを考えるのだろうなんて思うのですが、父の場合、必死に言いたいことを聞き取ると「えっ?!そんなこと!」というようなことばかりでした。

(だれそれには、贈り物はすませたからといった事務連絡だったり、かかりつけの病院の薬についての気がかりだったり…。)


聞き取るといっても、口はきけず、はじめの頃はおぼつかない文字で。
あとの方は手作りのあいうえお表を指差しての意思表示でした。

今は、それもできませんが、イエス・ノーはきちんと示せています。


とにかく、そんなこんなで全員集合的な一週間だったわけです。

身内がこれほど密接に集まり、あ~だこ~だと話し合ったことは近年なかったので、そこに意味があったのか…。


一週間ほど滞在した兄家族も仕事の関係もあり一旦自宅に帰りました。

私も、明日、いつも見てくれているもう一人の兄夫婦に父を委ね、とりあえず帰ります。

この兄夫婦も、長丁場、体を壊さないよう、ゆるく付き添うことするようです。

とにかく行ったり来たりの一月。妙な気分の一週間でした。