11年前の3月12日
私たち家族は東京にいました。
それまで東京などめったに行ったこともない私たちが、震災翌日に上京したのは娘の受験があったからでした。
前日の家族会議
3月11日の午後、地震がとんでもなく大きなものであることを知り、あわててオットとムスメに連絡をしました。
二人は大急ぎで帰ってきました。時間がなかったのです。
数分の会議。
3人で「受験に行くか?」ということから話し合いました。(滑り止めには受かっていました)
ムスメは「行きたい!」と言いました。
そこで、急遽、行く予定ではなかったオットも上京することにし、チケットなどを取り直すべく、バタバタと動きました。(不安だったので、ネットではなく代理店に行きました)
この決断はいい決断だった
羽田に着いても電車は動いていないし、バスにもタクシーにも乗れず、徒歩で目的地に向かうなど不安な時間が多かったからです。(最後にはタクシーを拾えました)
また、ムスメの受験中に、どうにか住まいの下見などができたのもオットが同行してくれたゆえ。私一人だったら、ずっとホテルで待機していたことだろうと思います。
決断をしたら、後悔も少ない
ムスメは幸い合格しましたが、落ちていたとしても、やれるだけのことをしたので、後悔も少なかったことだろうと思います。
同条件で、落ちるのですから、ただ実力がなかっただけと思えます。
我が家はどうするかを自分で選び決断をすることができました。それは、恵まれたことです。
理不尽な目に遭っている人々
でも、福島の人たちは、選んだのではなく嫌が応もなく、ふるさとを追われています。慣れ親しんだ家・お仲間・仕事など、それまで持っていた豊かなものを奪い取られ。
理不尽なのに声高に抗議することもしにくい・・・・。
ウクライナの人々も、手に持てるものだけを持ち(あれが全財産です)、恐怖と不安と疲労を抱え、逃げるしかない。
逃げている人は女性と子どもとお年寄りがほとんどです。
寒い中、見知らぬ土地にたどり着き、これからどうなるのか。
手に持った荷物を盗もうとする人だって、あの中に入ることでしょう。
ボランティアの顔をした人身売買業者がいるかもしれません。
どうやったら、原発のあとしまつは終わり、戦争は終わるのか。
理不尽な目に遭っている人に平穏で豊かな日常が戻ってくるよう祈るしかない。
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