↑受験終了後、ムスメが出したあれやこれや。全部出したかったみたい。
コロナウイルスの問題で、受験生の皆さんや親御さんは、さぞ落ち着かない日々を送っていることでしょう。
ムスメが大学を受験したのは、2011年、東日本大震災の年の春でした。
試験日は3月13日。東京で、でした。
当初は、「東京には前期受験の時初めて行ったというムスメ」と、「東京に行ったのはいつだったけ?」という母親の私、二人で行く予定でした。
そこにあの地震です。
昼過ぎ、テレビをつけず、のんびり過ごしていたら、オットの母から「受験はどうするの?」との電話。
テレビをつけて初めて、とんでもない事態を知りました。
大急ぎで、職場のオットと学校にいるムスメに電話。
- 受験はあるのか?→ネットで確認(ある!)
- はたして飛行機は飛ぶのか?→電話で確認(飛ぶ予定)
- ムスメに(滑り止めには合格していた)受けられるかどうかわからないけれど、行きたいのか?→チャレンジしたい
「じゃあ、お父さんも行く」ということになり、大急ぎで、手配をし、旅行会社に直接もろもろのものを受け取りに行きました。(電話やネットだけでは心配だったので)
もう夕方近くだったので、大慌てでした。
翌日(3月12日)午前中、羽田空港に着きましたが、まだ床にブルーシートが残り、座ったり、横になったりしている人がいました。
浜松町までは、モノレールが走っているが、そこまでとのことでした。
降りてみたら、タクシー乗り場には長蛇の列。で、その列はほとんど動かない。
これではらちがあかない。タクシーを拾えるところまで、大学をめざして歩こうということになりました。(大学で受験票を受け取らなければならないということでした)
道行く人に方角を聞いたりしながら、キャリーケースを引きながら歩きます。
1時間あまり歩いた辺りで、タクシーを拾うことができました。
無事、大学に到着し、受験票をもらい(緊急時なので必要なかった)、さっと下見をしホテルへ。
全国からの受験生に配慮し、受験は昼からでした。終了時は夜の8時過ぎ。すっかり暗くなった門の前で娘を待っていたら、緊張から開放されたのでしょう。「なんかいい感じの男の子はいなかったよ」なんて言いながらムスメは出てきました。
ムスメは試験が近づいてから、腰やお尻の辺りが痛いと言いだし、実際、キンキンに張っていました。整骨院に行き、針治療をし、コルセットを借りて上京したくらい。
ところが、受験が終わった瞬間に、本当に瞬時に治っていたのです。さっきまでキンキンだったお尻がフニャフニャに!
とりあえず行く大学は確保していたし、特に○○大学に行けといったプレッシャーを与えていたつもりもありません。でも、ギュッと緊張していたのでしょう。びっくりでした。
翌朝、仕事があるオットは朝一の飛行機で戻り、私たちは昼過ぎの飛行機で戻りました。東京見物という気分にもなりませんし、何があるかわからないというので、めちゃくちゃ早く羽田に着き、かなりの時間を羽田で過ごしました。
受験が終わったとき、結果はどうあれ、家族3人で、集中し、やるだけのことはやったという気分でした。
あとから振り返り、お金はかかったけれど、オットも一緒に行ってよかったと思いました。判断を迫られる場がいくつもあったからです。それに、ムスメが受験をしている間に、仮予約していた女子会館二つも、下見に行き、挨拶をしたりすることもできました。実際行ってみて、距離感や雰囲気もわかったで、一つに決めることができました。(地方だと、そうたびたび上京できません)
私一人で行っていたら、ただホテルで待機となっていたことでしょう。
幸いムスメは合格していて、充実した大学生活を送ることができたようでした。
今回のコロナウイルスのように、時には思いもかけないことがあります。そんな時は、自分が最善と思う道を選ぶしかありません。そうすれば、多分、あとで振り返ったとき、たとえどんな結果でも、あれが私たちのあの時の精一杯だったと思えるのではないでしょうか。
新型肺炎も早く解決するよう願うばかりです。
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