心配事は心をむしばむ

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モヤッとすることは減った

 

先日、「モヤッとすることを深く考えないようになった」なんてえらそうなことを書きました。

 

確かに、以前に比べたら、あれもこれもと思い煩うことは減りました。

たとえば、友人知人やご近所さんのことなど。

多少「あれっ?」と思うようなことがあっても、「まあいいか」と思えます。

こちらが会釈をしたのに相手が返してくれなかったなんてことも、時にはありますよね。でも意外に「ただ相手は気づいていなかった」だけだったりします。たとえ、そうではなかったとしても、そのくらいに思っておけばいい。

 

義理の実家との関係などでも、まあいいかと思うことがふえました。

 

でも、流せない関係の人もいる

 

そういう人との関係では、自分のキャパシティを自覚することが大事です。

人のことなんか「気にもならない」「気にやまない」というようにキャパシティーの大きな人は、何があっても放置しておけばいいと思います。

 

でもそうでなかったら、放置せずに関わったほうがいいかもしれません。

それはあくまでも自分の精神衛生のためです。

心配事は心をむしばむからです。

 

正月のできごと

 

私には、近しいのに年賀状を出さなかった人がいました。「ラインでの挨拶ですませよう」と思ったのです。

で、朝に『おめでとう」のラインを送ったのですが、待てど暮らせど返事がありません。既読はついています。もちろんあちらから年賀状は届いていません。

 

「お正月だもの。来客とかでバタバタしているのかも」、なんて自分に言い聞かせてみるものの、「いやあ、最近電話すらしていないのを根に持っているのかも」なんて思ったり。

 

とらわれる

 

せっかくの輝かしい元日が、ずっとそのことにとらわれてモヤモヤするばかり。(私のキャパシティーはその程度のものです)

夕方になり、エイヤッと電話してみました。

でも、出ません!

 

こちらが距離をとりたがっているのを察して、気を悪くしてるんだと思う私。

 

明るく振る舞いつつ、気分はグレーの一日になっていました。(オットには一言もそんな心のうちは述べていませんので、オットはなにも知りません)

 

救われた思い

しばらくして向こうから電話がありました。

なんのわだかまりもない声で(多分)、「ごめんね。いいスタンプを探そうと思っていたら、そのうち忘れてしまっていて」「電話のときも寝入っていたの」「元日だけどシフトが入っていて仕事だったのよ」とのことでした。

 

私のそのときの気持ちは、「ありがたい」というものでした。

電話のおかげで、救われた思いだったのです。大げさではなく、ほんとうに目の前が明るくなりました。

 

相手は、身内ですが、考えると気が重くなる人です。

できたらあんまり密接な関係は作りたくない。

でも、ラインの返事が来なかったら、電話に出てもらえなかったら、気が気ではない人なのです。

 

その人は、私のとってどんなにモヤッとしても手離せない人なのです。(長年私は、自分のそういう思いに罪悪感を持っていました)

 

自分のために

 

でも今回のできごとで、自分のために、相手とほどいい関係を保っていくしかないと心に決めました。

これはあくまでも自分のためです。

 

盆正月に、相手が喜ぶようなものを送って、「届いたよ」の電話があったら、たわいものない話をする。

そうしたら、心の荷がおりて、ホッとする。

そんな関係を保っていけたらと願っています。

(相手のことが曖昧なので、なんか妙な文章になっていたらお許しください)

 

人間関係でも、体の不調でも、気になってしょうがないことは放置しないで、できる範囲で解決法を探り、動く。

その結果は100パーセント満足のいくものにならないかもしれません。でも、「やるだけのことはやった」という心の平穏は得られます。

 

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