義母の死から一週間たちました。
今回、あらためて「片づけ」の大切さを思い知らされました。
(義母が義妹家族と住んでいた義実家は汚宅です)
すべての行動が「家が汚いから・・・」で始まる
詳しいことは控えますが、家が汚いと、人の死というような究極の一大事でも、そのことに行動が左右されます。
家が片づいていたら、集まるか集まらないか・仕出しを取ってみんなで食事をするかしないか、などなど、そのことの是非から考えるのでしょうが、家が汚いとそうはいきません。
とにかくみんなの頭の中に「家の状況」があるので、それがすべての前提になります。
(小さい子どもなどはそもそも家にあげられない)
お金がかかる
喪服を探し出すより、買いに行った方が早い。そんな人もいるのです。
お金はかかるし、慌ただしい。
疲れる
「人の生き死」・「病い」・「おめでたいこと」、何にしても、その事だけでも大変なときに、それ以外に家の片付けのことが頭の中にあり、作業をしなければならないのです。大変・・・。
起こることは支配できないけれど、片付けは自分次第
義母の死から数日、義実家のあれこれにばかり目がいっていましたが、問題は自分です。
わが家はどうかと見回すと、まだまだ片づけるところはいっぱいあります。
すべて準備万端の時に訪れるとは限りません。明日のことどころか、今日のこともわからない。
大きなことでなくても、友人がちょっと寄ってくれたなんてときでも、家が片づいていたら気軽に「お茶でも♪」と言えます。
今回のことで、あらためて片づけを進めよう!と思いました。
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