働く母の姿~MISIAさんのお母さん~

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婦人公論4月号に歌手MISIAさんのお母さん、伊藤瑞子(いとうみずこ)さんへのインタビュー記事がありました。

 

遠い世界の人のように見えても

 

MISIAさんのお母さんで、ご自身も、夫さんも、お子さんも医者・・・。

 

で、もって70代に大学院であらたに学ぶ。

なんてとこだけを拾うと、自分とかけ離れた遠い世界の人に思えますが記事を読んでいると、今も昔も変わらない環境の中で、一日一日を闘って生きてこられた方だとわかり、「自分も、今からでもがんばろう♪」というような元気をもらえました。

 

長崎との縁が深い

 

まず、身近な長崎大学医学部のご出身で、長崎の病院で働き続けて来られたというのに親近感が湧きました。

 

今も昔も変わらない働く女性の大変さ

 

伊藤さんは、産前産後の休暇がそれぞれ6週間しかなかった時代に、ご実家の手助けなく、夫婦で子育てをしながら、仕事を続けてきたとのこと。

 

インタビューの中に、

 

職場で「ごめんなさい」、保育所の先生に「ごめんなさい」、こどもたちにも「ごめんなさい」。なぜ私は毎日こんなに謝りながら働いているのだろうと、悩みは深かったですね。

どちらが仕事を休むかで夫と揉めて、三歳になった長女が「病気になってごめんさい」と泣き出したときには、自分が鬼のような母親に思えたものです。

 

 

とありました。

悩みながらも、1日1日を乗り切るという思いで、仕事を続けてきたそうです。

 

闘う姿も

 

印象深かったのは、離島の公立病院に勤めていたときの話。

夫が院長。それだと、同じく働いている伊藤さんは副院長になれなかったとのこと。

 

職歴、力量からいったら、伊藤さんが副院長になるのは妥当なことだったのに(あとはお若い医師しかいなかったとのこと)、夫が院長のところで妻を副院長にはできないとなったのだそうです。

 

男女雇用機会均等法が施行されて10年くらいの頃のことだそうです。

 

その頃の長崎県では、夫が校長になるんだったら教師として働いている妻は退職しなくてはならないという不文律がありました。

どんなに仕事に熱心で、能力のある女性でも、自分が辞めないと夫は校長になれないわけです!

 

そういう理不尽な現状に怒りを感じていた伊藤さんは、納得ができないということで県の人事委員会に訴訟を起こしたそうですが、「社会通念上好ましくない」ということで訴えは通らなかったそうです。

 

このことを機に、病院を辞め、福岡で開業したとのこと。

 

妻と夫の関係・・・

 

夫さんとは、45年にわたり同じ病院で働く同僚だったけれど、夫さんの方は育児に協力的ではなかったとのことで、このことは執念深く覚えていると述べていました。(わかる!わかる!)

 

で、このインタビューにあたり、「どうして協力的でなかったのですか?」と聞いたら「自分の仕事の方が重要だと思っていた」の返事だったそうです!なんとも…。

 

華やかに見えても

 

外から見たら、豊かで華やかに見える人も、その裏で必死にもがいたりしているんだなということに改めて気づかされるような記事でした。

 

私の書き方だと、恨みがましい感じも臭ってきますが、そんなことはなく、人生を切り開いてきたという自信や明るさのあるインタビューでした。

 

MISIAさんについてのエピソードもいろいろありましたが、印象的だったのは、深夜の呼び出しがあり、病院に行かなくちゃというとき、「MISIAさんは寝たふりをするような子どもだった」というところ・・・。母親の必死さが分かっていたのでしょうね。

 

現状は、なかなか変わらないけれど・・・

 

伊藤さんは、1945年生まれ。70代の女性です。

産休や育休の制度は大いに充実してきたけど、その他のことは今もたいして変わらないかも・・・・。

 

でも、みんなそれぞれに、あきらめず、1日1日を乗り切って、時には小さな戦いをしていくしかない。

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