子どもが生まれたとき思ったこと
子どもが生まれたとき私が思ったのは「夕ご飯が楽しみな家にしよう!」ということでした。
当時、身近に、家に帰っても親がおらず、温かいご飯もない。
コンビニとかでたむろして補導されても、おやごさんが引き取りに来ない。
そんなお子さんたちがいたからです。
「今日の夕ご飯なんだろう♪」
そんなことを楽しみにできる子どもだったら、何があっても大きく道を外れることはないよね、と思ったのです。
親の悩みは尽きない
幸い、ムスメは「夕ご飯は何だろう?」どころか「明日の朝ご飯は何?」という子どもに育ちました。
これで大きく道は外れない(!?)
じゃあ、何も心配ないかというとそうではなく、
入れた保育園がいまいちに思えたら、
この保育園でいいのか???と悩み。
いやいや、保育園にも行かず、農作業の傍ら畑の隅に転がされていたって、ひとかどの人になった人もいたはず・・・・、と思いかえしてみたり。
(比較が極端ですが)
小学校、近場の公立がいい?
ちょっとがんばって私立とか付属にする???とちょっとばかり考え。
地球のどこかで元気に生きていてくれたらありがたい
選択の分かれ道に来るたびに、あれこれ考えるわけです。
そして毎回、
どの選択が正しいのかなんてことはわからない・・・。
「地球のどこかで元気に生きていてくれるだけでありがたい」という思いにたどり着くのでした。
だって、歩道を歩いていたって自動車事故にあう人もいるし。
これまで一度も崩れたことのない斜面が崩れる瞬間にそこを通りかかる人もいる。
そう考えれば、そういう不運に巡り合わずに、無事に生きていてくれている、それだけでありがたいと思えてくるわけです。
親である自分も
これまでは、子どもを見守る親の立場というスタンスだけでしたが、これからは子どもに見守られるという部分もふえてきそうです。
でもまだまだ、子どもから「親は親で、自分の暮らしを楽しみ、元気に暮らしている。」
そんな風に思われたいなと思います。
(ま、お世話になることもあるでしょうが)
さ、今日から2月。はやい!
ちゃんと歩いて、ラジオ体操もして、ほがらかに暮らそうと思います。
では♪
↑お弁当作りもがんばっていました〜。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。