私は、村上春樹さんの本がベストセラーになるたびに、とりあえず読んでみようという感じで、手に取ったことが何度もあるが、一度たりとも読み通せたことがなかった。
私にとっては、文体がダメみたいで、抵抗感があり頭に入ってこないのだ。
最近では、あきらめてパラッと本屋さんでページをめくるくらいになっていた。
でも先日の図書館で、偶然見かけたこの本は、ひたすら薄く、イラストにもなんだか心引かれ、パラッとめくったら、いつもの抵抗感がない。「猫を棄てる」というタイトルもなんだかふしぎ。ということで、借りてきてみたが、すんなりと読み通すことができた。
お父さんと自身の関わり、お父さんの人生について書かれていたが、お父さんが招集されて戦争にどう関わったか(関わらされたか)については、史実にのっとってかなりのスペースがさかれていた。
学ぶことが好きで、熱心に学び、とても優秀だったお父さんは、ちょうどその学びのころに三度も招集され、心ゆくまで学ぶどころか、戦地に赴かざるをえなかった。
そこでは口にできないようなことがあったようで(村上さんも、躊躇があり、深く聞くことはできなかった)、終生、一日の始まりには小さな菩薩の像を拝むくらしをしていたとのこと。
かたや、
机にしがみついて与えられた課題をこなし、試験で少しでも良い成績をとることよりは、好きな本をたくさん読み、好きな音楽をたくさん聴き、外に出て運動をし、友達と麻雀を打ち、あるいはガール・フレンドとデートをしていたりする方が、より大事な意味を持つことがらに思えたのだ。
という村上少年。
お父さんは、そんな村上さんにひどく落胆し続け、関係はこじれ、お父さんが90歳を過ぎて亡くなる ころには、20年あまりまったく顔を合わせていなかったとのこと。
そんなお父さんのことは、いつか書かねばと思っていたが、なかなか書けず。でも、タイトルにつながる「お父さんと猫を棄てにいった」できごとを思いだしたことからすらすらと書けたとのべていた。
全体に、お父さんが戦争で死んでいたら今の自分はいない。お母さんの結婚相手が戦死しなかったら、今の自分はいない。そういった思いが流れていた。
少し前に読んだ五木寛之さんの「大河の一滴」とぴたりと重なるようなことばがあったのにはびっくりだった。
イラストも、一つの物語のようで心に残った。
↓ポチッと押してもらえたらうれしいです